本気で生きるっきゃねぇ!


 あの大地震から1年がたった今日.
 様々なメディアから得られる情報や復興支援の経過,
 僕の友人や知り合いの方の活動や想いを知り
 再度,色んな事を感じました.





 
 そんな3月11日の今日,僕は岡崎へと行ってきました.
 勉強会のお手伝い役としてです.






 いつもの実技中心の勉強会で
 対象となる職種は普段と少し違いましたけれど
 ものすごく,参加者も僕らも充実した勉強会であったように思います.






 あれほど,しっかりと話し合いながら
 みっちり練習できる勉強会はそうそうありません.






 こうやって少しづつでも
 一緒に考えていける仲間を増やして
 今のケア現場が少しでも変わる事を信じています.





 
 今日という日に勉強会を行えた事は
 ものすごく良かったと思います.
 勉強会の中で,黙禱をしました.

 
 



 その時間の中で感じる事はたくさんあって
 その中で自分が今何をしなければならないか? というのを
 考えてみました.






 人にはそれぞれ,色んな生活というのがあって
 それを妨げたり,拘束する事は許される事ではありません.






 しかし,それがなんらかの理由によって
 アイデンティティーという防波堤が崩れた時,
 その方の気持ちや生活だけでなく
 一緒に生活していた家族や友人にとっても
 大きな影響を与える事は容易に想像できるはずです.
 





 でも...
 普段,何気ない生活を送っているだけでは
 感じにくい事なのかもしれません.






 今,医療や福祉という分野に
 微力ではありますが関わらせて頂くからこそ
 感じる事はあります.






 「誰かを助けたい」 という気持ちはあっても
 果たして,自分にはその「資格」があるかどうか?
 自問自答する事もありますが
 僕が思うに,やはり仕事という1つの社会貢献に関わる以上
 ただ漫然と,こなすだけの日々を送るべきではないと
 そんな風に思っています.






 「ケアの現場に関わる」 という中で
 「相手が早く死んでしまえばいい」 なんて
 思っている人はいないと思っています.






 だけど.
 今回の震災後に,
 「被災地の方は辛いだろう,苦しいだろう」と言うだけなのは
 まるで臨床の中で「相手に嫌われないようにだけしたい」という
 感覚と似ているような気がします.







 気持ちを持つ事は物凄く大事な事です.
 でも,復興ってそんなに簡単な事ではないと思うし
 その中で,「思うだけ」ではなくて
 「行動」として移していくという事が大事なんじゃないかと思います.






 それが募金であっても,ボランティアであっても
 身近な人を守る であっても,どんな形でも構わないかと思います.
 





 人によってやるべき仕事が違うのは,社会としてある事だと思うのですが
 どういった内容でも「人の生活」に関わる事には違いないと思います.
 だからこそ,「行動」に移すべきです.






 今,自分ができること.






 申し訳ないくらいに,僕は「誰かに伝える」という
 仕事もさせて頂いています.
 正直に,「僕なんかが・・・」と思うんです.






 でも.
 そんな気持ちを払拭していかなければいけないと
 遅いんですけど...はっきりと思うようになりました.






 もちろん,「仲間と一緒に考えていく」
 というスタンスを変えるつもりはありませんが
 人前で話すときの「責任」をもっともっと自覚し
 今後の活動や自分の生活に生かしていこうと思っています.






 近いうちに,1つ勉強会を行う事となりました.
 「想像する力」と「創造する力」をテーマにしようと思っています.
 1日,1秒,一瞬を大事にしていきたいと思います.