♪夕焼〜け こやけ〜の
こんばんは。 後藤です。
明日、6月9日は「赤とんぼ」「野ばら」「この道」
といった懐かしい曲の作曲者、山田耕筰が生まれた日です!(←今日じゃないじゃん!)
音楽に恵まれた環境に生まれたのは良かったが、
9歳の頃に父親を亡くしたため、寮に入る事になったらしいです。
そこで最年少であったため、学校にも行けず
一日中働かされるなどの苦労を重ねたそうです。
作曲を始めたのは14歳。それからドイツ留学などをし、
日本の交響楽に多大な貢献をした とされています。
この山田耕筰という人物を今日紹介しようと思ったのは、
晩年、病のために半身不随になったにも関わらず
なお指揮棒をとっていた というエピソードがあるためです。
いやぁ〜・・・ かっこいい。。。
なぜなら、声楽家に看取られ亡くなる間際に
「もっと声楽を勉強して、山田耕筰のシンをつかみとれ」
と、言い残したという! エピソードがあるからです。
譲れなかったんでしょうね、指揮。
これぞ、プロ・・・ なんでしょう。
半身不随になり、上手くバランスが取れなくても
それでも自分の作った曲の指揮は自分以外振れないと
思っていたハズです。(←あくまでも推測)
標準化する。
シンプルに。
統一化。
適切な引き継ぎ。
これらは、とても大事な事と思います。
病院という組織の中で働くには必要であるとも思います。
しかし、理学療法士という一種の職人の様な職業は
山田耕筰氏のような心意気も忘れてはならない!
なんて思った1日でした☆
こんなに偉そうに書いてきたわけですが、
果たして僕がどこまで理学療法士としてやっていけるのか・・・
勉強!勉強! だなぁ〜 って思いました。
そして、僕が息をひきとる瞬間、言ってやるのです。
「もっと快適ケアを勉強して、後藤のシンをつかみとれ」 と。(←敢えてここで締めます)