何が依存で何がジリツか?


 在宅って,どんな場所なんでしょう?
 たまに,ふとこんな事を考えたりします.


 





 「依存」という言葉を
 まぁ,リハビリテーションだけでなく
 医療や福祉に携わる方なら考えている事が多いかと思いますし
 相手の生活を考えて行くときに
 悩む部分でもあるかと思うんです.







 僕は今日,以前担当していた方のご自宅へ
 就業後,遊びに行ってきました.







 お孫さんが,早いもので
 もう医療従者になり,その初任給で
 プレゼントを頂いてしまったので
 そのお返しに・・・と言う事で
 僕が担当する前に担当していた先輩の先生と伺ったのです.







 そこで,色んな話をしました.







 時間が経つのを忘れ,
 仕事の話や,最近どうしているか? などなど...








 在宅に関わるって事を
 担当させて頂いた方だけでなく
 そのご家族の方からも学んだ事がたくさんあって
 僕にとって,思い出深い御家族です.







 あれから,数年がたって
 それぞれに生活環境が変わったり
 新しい出会いであったり,課題であったり
 たくさん,あるんですけど
 その中でも変わらない,
 ちょっと恥ずかしいんですけど「優しさ」が
 その場にはありました.








 これは,「依存」なんでしょうか?
 カテゴリー的にはそうであったとしても
 この文章能力の低い,僕の日記では伝わらない事も
 あるかと思うんですけど
 僕は,なんだか良い事のように思うんです.








 嬉しいです. 素直に.








 このご家族との関わりを持ったのも
 僕が本当に在宅に関わる初期でして
 今思えば,分かる事も感じる事もあったりして
 本当に,このご家族の方への感謝っていうのは
 何年経っても,忘れる事が出来ません.








 こうやって,傍から見れば
 「深く介入し過ぎでは?」と思われる事柄も
 僕は,あくまで個人的ではあるんですけど
 それくらいの気持ちで,在宅って言うのは
 関わるべきなんじゃないか? と思うんです.








 在宅で,相手の生活を考えていく っていうのは
 物凄く「責任」があると思うし
 同時に,「覚悟」ってのは必要で
 なによりも,「相手を想う気持ち」ってのが
 大事なんだと,そう思っています.
 







 むしろ,そう学ばせて頂いたようにも感じます.







 在宅に関わる事で,一層
 臨床への考え方も変わりました.
 やはり,僕はセラピストとしての
 役割をもっと責任を感じて行うべきだと.
 それは,「やってあげる」ためなんかではなく
 多くの事を学ばせ頂ける相手がそこに居るからだと.
 そんなように思っています.







 もちろん,リハビリテーションの中だけでなく
 「依存」ではなく「ジリツ」←敢えてカタカナにしました
 をサポートする必要性や,重要性を
 肌で身にしみる事もあります.








 クリニカルパスなんかじゃ,
 関わり方って分からないですからね.








 マニュアルはもちろん大事だと思うし
 線引きってやはり分かっている事にこしたことはありません.








 だけど,数値化出来ない事なんかも
 世の中にはたくさんありますよね.
 何ていうか...分からないんですけど.
 「人と人との繋がり」って,
 今の僕では,言葉じゃ当てはめにくいです.








 まだ自分の考えが幼いという点もあるかと思いますし
 また,自分勝手な意見ばかりの日記なんですけど
 自分が生まれ育った地域ですから
 育ての親のように思っていたっていいんじゃないか? なんて
 そんなふうに思っていたりします. いや,思ってます.








 小恥ずかしい発言をしたりして,なんかすみません...








 それでも,まぁ...申し訳ない事もあって.
 就業後,車いすの勉強会もあったのですが
 そこに中途半端な時間しか参加できなかったんですよね...








 説明に来て下さった方には,
 今度ゆっくり話を聞いてみたいと思います.
 嫌がられそうですけど...








 5月も,もう終わりです!
 明日も,良い1日に! 張り切って行きたいと思います!